トップページ < ここだけの話 < 管理人の就活

管理人の就活

この私(管理人)も、大学を卒業する前にみなさん同様に就活をしました。
私の場合、資○○という化粧品会社に縁故がありましたので、中学生の頃からそこに入社するものだと思っていました。
親からも「とにかく4年生の大学を卒業すること」ということを常に言われてました。
しかし4年生の夏前になり資○○の役員から自宅に直接電話があり「今年はどうしても・・・」と言われました。
のん気にも私はその言葉を聞いて「じゃあどっか探そ」と考え、7月頃から会社を物色し始めました(当時としてもかなり遅いスタートでした。通常は4月頃からだったと記憶しています)。

当時もバブル前だったので売り手市場ではなく、完全な買い手市場で私のようなバリバリの三流大学では大手と呼ばれる企業に就職するのは至難の業でした。とにかく卒業生には上場企業の関連会社(例えば日産○○販売・・キャノン○○販売・・・○○商会)や流通企業などがメインの就職先でした。

しかし私には持論がありました。
それは「メーカーに入る」というものでした。

なぜメーカーなのか・・・
当時も銀行や商社などは花形でメーカーはあまり人気はありませんでした。給料や待遇面もイマイチなので。
それでもどうしてもメーカーがよかったんです。資○○もメーカーなので自分では納得していました。
またメーカーと言っても原料や機械部品など一般には目に触れにくい分野のメーカーもありますが、私の希望は「身の回りにありふれてるモノ、どの家庭にもあるモノを作っている会社」でした。つまり日用品メーカーです。そこで自分が手がけた商品やサービスが全国的に発売され・・・国民がみんなでそれを使ったりする・・そんな光景を夢みていたのです。テレビCM製作や広告の仕事もメーカーには重要な仕事ですし。
そこで三流大学ではありながらも自分の専攻していた分野で日用品メーカーを探したのです。

ピックアップしたのが確か5〜6社だったと思います(全て一部上場企業)。
ここでものん気だった私はこの中からどこかに入社できると思い込んでいました。就職ガイダンス(当時はネットなど無い時代でしたから電話帳のような雑誌です)を買ってきて、履歴書を手書きして会社説明会(現セミナーに近いもの)に行ったのです。
当時は履歴書で書類選考されるような事はあまりなかったと記憶しています。
なぜかというと全ての会社で筆記験を受けたので・・。筆記を通過できたのが4社ありました。
余談ですが、ラ○○ンという会社の筆記試験に日本国憲法前文の穴埋め問題が出て「なんじゃこりゃ??」と思ったのを覚えています(笑)。当然全くできませんでした・・・落ちました。
その後、筆記を通過した会社での初回の面接は集団面接(就活生5 VS 面接官2)のようなものでした。面接官と言っても、おそらく人事部の課長クラスだったと思います。面接を通過すると、その日の夕方には自宅に電話がきて次の面接日の知らせがありました。
花○は確か3次面接まで進みましたが・・・私の隣が早稲田の院生・・その隣が京大生・・・。ここであえなく撃沈(爆)
理科系出身者の採用枠が多かったので文系の私には狭き門だったのだと思います。

最後に2社が残っていて最初に内定通知をもらった今の会社に、あっけなく入社を決めてしまい私の就活は終わりを向かえたのです。
とにかく今の会社の面接では・・・
「時計の短い針が1周する程度は毎日働くことになるよ」とか「半端な気持ちなら入社してこないで欲しい」と言われましたが・・・逆に「かなり正直な会社だ」という印象が私にはよかったですね。花○も「うちは午前0時まで働く社員もいる」と言ってました。

その後・・・
入社半年で8kg体重が減り・・・3年で同期入社は1/3に減り・・・そんな劣悪でハード過ぎた日々も今となっては思い出となり・・・今は就活時代に夢みていた希望の職種に就いていて・・・すっかりメタボになってます。

とにかく、今よりはずっと楽な就活だったのだと思いますが・・・学生さんに言いたいのは、大手一流企業なら楽してステータスを味わえると考えているととんでもない事になるという点です。大手企業ほど仕事は厳しく、社会的責任も取らされると思っておいて下さい。内定確保がゴールではなく、そこが本当のスタートなのです。


管理人の一日
管理人の就活
学歴フィルター
同族会社は善か悪か
就職内定率の不思議
社内失業
大企業 VS 中小ベンチャー
面接で使ってはならない禁句とは




[PR]